SOHOで通勤知らず – サラリーマン時代の辛くて実のある電車通勤

SOHOも仕事のやり方次第だろうが、編集人は家の一室を職場としている。
よって、通勤もなしである。
毎日が、天国である。(もちろん、起きている間中は仕事をしているわけなんだが…)

基本的には引きこもり(ヒッキー)であり、その様はニートそのもの(笑

時々思い起こすのは、サラリーマン時代の苦々しい通勤生活である。

とはいうものの、ある時期は非常にマニアックな読書に耽ることができたし、最後の通勤生活は起業のプランを練るために費やした。

新幹線通勤で読書三昧

広島県福山市のある町から、兵庫県明石市まで、1年数ヶ月ほど通勤したことがある。

福山・西明石間は新幹線である。
時間的なこともあって、こだまを利用した。
1車両を独り占めすることがほとんどだった。といっても占有できるスペースは人間一人の限界であるから、3人掛けの真ん中に座っていたのだが。

小学館  新編日本古典文学全集 古事記小学館 新編日本古典文学全集 (2) 日本書紀

出勤時は、朝食をとりながら読書。
3人掛けのテーブルを2つ使い、右におにぎりとお茶、前に本を置いた。

帰宅時は、主に読書、時々仮眠。

辛かったのは、天候不良や事故などでダイヤが乱れた時。
目の前に車両が止まっているのに、臨時停車なので乗り込めず、延々と次の新幹線を待たされたこと。

さて、この時期に読んだのが、『古事記』『日本書紀』『続日本紀』である。

もともと日本古代史に嗜好があり、文学では『新古今和歌集』を中心に藤原定家を読み耽っていた。
古事記、日本書紀は既に岩波書店の新日本古典文学大系を購入済みであったのだが、この長時間通勤がチャンスと新たに小学館の新編日本古典文学全集を明石駅近くの書店で購入したのである。

古事記、日本書紀を再読というか精読というか、読み進めながら同時に、日本神道(古神道)や陰陽道、密教などの通俗本も併読し、おどろおどろしい?日本古代史にどっぷり浸かったのである。

続日本紀 1 (新 日本古典文学大系

もともと、一部の学者やマニアが血道を上げているような、邪馬台国がどこにあったかとか、卑弥呼は誰だったのかとか、そういう歴史の本質とは無縁のミーハー題材にはまったく関心がなかった。

もっぱら、天皇制と古代伝承や宗教との関係、渡来人エスタブリッシュメントの支配にもかかわらず存続できた土着大和詞の意義、対唐戦争・白村江で敗戦しながら天智がなぜ即位できたのか、壬申の乱はクーデターか革命か(つまり天皇家の内部闘争か、別の王朝か)、そういったことが興味の対象だったのである。

ついでに言っておくが、日本の文献には「邪馬台国」も「卑弥呼」も出てこない。記述されてあるのは中国の歴史書だけである。
ということは、歴史書を刊する日本の支配勢力にとって、「邪馬台国」も「卑弥呼」も伝承されないほど価値がなかったが、逆に抹殺しなければならない前王朝の国家と人物であったか、そうとしか考えられないのである。

まるで歴史ルポルタージュのような壬申の乱の描写があり、持統が文武に譲位して日本書紀が終わる。
さぁ次だ。

続日本紀では奈良時代が記録されており、新 日本古典文学大系の第二巻を読み進めているときに転勤となって、わが読書通勤生活も終わった。

通勤電車で起業プランニング 月商100万円の事業計画づくり

その後しばらくして、ヘッドハンティングされた上司に引っ張られて、競合他社へ転職する。

が、こちらの思惑もはずれ、また上司ほか一統も空中分解し、私は離職することになる。

この時の、地方での中高年再就職の地獄絵図と、フリーターもどきの日銭稼ぎの残酷物語は後日に譲って、最後のサラリーマン通勤生活を書いてみよう。

さて、わが家の家計というか支出もおかしいところがあるのだが、とにかく、福山市の一般的な勤労者の平均収入では成り立たないことが発覚するのである。
つまり、再就職にも難儀したのだが、かりに会社勤めを再開したからといって、住宅ローンとか生活費とか、男一人が稼いだ額では赤字になるわけである。

よって、思いも寄らないことだったのだが、サラリーマンでは一家無理心中しかないという結論に達したのである。

そこで、とにかく再就職を果たしながらも、当然毎月赤字、貯金を食いつぶしながら、まずは副収入としての事業計画を練って実践したのである。
本当は、できればサラリーマンをやりたかったし、資金繰りなどに負われるような苦労もしたくなかった。
ところが、独立したくなくても、起業しなければ死ぬしかなかったのである。

業種業態にもよるが、従業員一人あたり毎月100万円の売上が必要。これが、編集人が到達した自営であれ会社であれ事業の必達収入である。
もちろん、経費や利益率など諸要因はたくさんある。
だが、一人月商100万円が満たされなければ、独立も経営もできないのである。

副収入からスタートとはいえ、来るべき時には月商百万が達成できるような事業計画を練ったのである。
商材と主たる客層、客単価、商材の販売方法…

毎朝1時間ほどの通勤電車の中で、事業計画から起業プランまで、小振りのノートを何冊も書き潰していった。

睡眠時間はほぼ平均4時間、ある意味で命を削りながらの兼業サラリーマン生活だったのだ。

そして、3ヶ月後にはWebサイトを立ち上げ、ポツポツと売上も生じてきた。
10日で10万円、一ヶ月で30万円ほど収入が取れるようになったころ、勤めて数ヶ月経ったとき、会社の方からも退職勧奨がはじまり、無事?独立したのである。

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