「偶発性の哲学」転機は突然やって来る 偶然に翻弄される歴史と人生とビジネス
私が最近実感していることは、人類の歴史や個人の人生、あるいはビジネスにおける事業の進捗など、これらは予期せぬ事件や事故などによって大きくその後の展開が変わって行くということです。
つまり予測どおりにはならないこと、計画が妨げられること、そればかりではなく偶発的なできごとが決定的な画期となること、さらに突然の事態も何度でも頻繁に起こっているということです。
仮に、この考え方を「偶発性の哲学」と呼んでおきましょう。
このような思想がなんの役に立つのかというと…
「偶発性の哲学」の有用性
これは事業においては、職人や管理者ではなく、起業家のみが新しい会社を起こし生き残らせるということにも相通じます。
偶発性を起こすパワーが起業力というわけです。
起業家精神以外は、予測や計画に支配され、偶発性になすすべを知らないからです。
ビジネスにおける破壊的イノベーションも、既存の企業にとっては自社の存亡を左右する偶発性として、ある日突然襲い来る競合となっています。
起業する場合、あるいは新規事業を立ち上げる場合、データを集めて精緻なマーケティングをやっても、ほとんど無駄に終わるでしょう。
例えば、儲かっているとか、一般に広く認知されている市場に参入する場合は、自分よりあとから参入する競合が偶発性として出現してきます。
儲かっていないなら、その市場そのものが障害となります。
さらには、偶発性の偶発性たるゆえんは、成功物語も後付けでしかなく、当事者としてはまぐれ当たりで突き進むしかないということになるのです。
進化論や株式投資や
生物の進化でいえば、素人考えですが突然変異もその類と言えるのではないでしょうか。
また私には同じことと思うのですが、今日のサブプライムローン問題に端を発している世界的な金融危機も、ナイトの不確実性やタレブのブラックスワンも、みな同じ偶発性の哲学に当てはまると。
予測できる危機はリスクであって、予測に基づいてリスクヘッジできるわけですが、偶発的に起こるような予測できない危機だから、被害も甚大になってくるわけです。
よって、偶発的な事件や事故がついて回り、しかも自分の事業や人生を大きく狂わせる可能性もあるのですから、予測可能な未来を描いて将来設計を立てても崩壊する確率が高いことになるのです。
そして今、私が「偶発性の哲学」をビジネスや人生に応用しようとしているのは、事業計画を立ててビジネスを進めるにしても、精緻なプランでさえ不測の外部的な要因によって失敗はあり得ると覚悟しておくということでしょうか。
そういう考えに立つと、たった一つの夢を追いかけることは危険だから二つ三つプランを同時進行させることも危機管理となってきます。
さらには、偶発性に翻弄されるのですから、成功を自分の手柄にできません。
また偶発性が織り込み済みですから、失敗も自分以外に責任転嫁することもできなくなります。
念を押しておきますが、予測不可能とか、計画倒れとか、そういうことを強調しているわけではありません。よって、ビジネスはギャンブルと同じで、えいやっと当たりにかけるとか冒険主義を勧めているわけではないのです。
むしろ得体の知れない障害があることをもプランニングするという、薔薇色の未来だけを思い描かないようにという、ウルトラ危機管理と言った方がいいでしょう。
最後に、何かをやらないで成功しないことと、何かをやって失敗することとは、等価ではないということですね。
失敗を恐れるような卑怯者、臆病者は、決して成功者にはならないのです。