宮沢賢治全集のすすめ 求めたものはユートピアか革命か

今回は、『宮沢賢治全集』をお勧めします。
もちろん、購入ではなく読書です。

ちくま文庫 宮沢賢治全集

私は、高校二年生の夏休みに覚醒しました。

マンガやアニメだけでなく、本格的に読書をするようになったのです。

特に打ちのめされたのは夏目漱石でした。日本の明治時代における、知識人の近代の憂鬱といったものが、私の昭和の閉塞感に肉薄してきて、非常に人生観が変わる読書体験でした。

だがしかし、宮沢賢治はどちらかという大嫌いな作家のひとりでした。高校時代は。

宮沢賢治の虚像と実像 – 雨ニモマケズ vs. 修羅

嫌いな理由は、例の有名な「雨ニモマケズ」の詩? が、なんとお人好しで脳天気なんだ、と勘違いしていたからです。

大学に入ってからは、私もどうしようもなくフラフラしてまして、作家を目指そうと思っては三島由紀夫や藤原定家を読みふけったり、画集を買ったりクラシック音楽にはまったり、その他ごにょごにょです。

知的活動としては、思想書や文学書を漁りました。

その中で、好きも嫌いもなく宮沢賢治も読んだのでしょう。きっかけは特に覚えておりません。

しかし、強烈でしたね。

以下、私は宮沢賢治研究家ではありませんので、個人的な体験と意見で続けていきます。

詩集「春と修羅」

あの「雨ニモマケズ」の宮沢賢治が、「修羅」とはいったいどういうことだろう。これが最初の率直な感想でした。

『春と修羅』という詩集の「春と修羅」という詩です。

春と修羅
(mental sketch modified)

心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり

いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ

まあ、修羅にも驚きますが、「mental sketch modified」ってステキです。

ことばも美しいです、本物の詩人です。

これは、才能ある人が詩を書いたというものではなく、生まれながらの詩人が自己を表現すると詩となる、そういう超えられない壁を感ずるのです。

(まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる)

本当に心の底が震えてきます。

感動のあまり、フォークギターを弾きながら、この詩に曲を付けたことを覚えています。

「春と修羅」の詩は、全集第1巻に収められています。
「雨ニモマケズ」は第3巻所収。

生徒諸君に寄せる

未だに、私の人生で宮沢賢治の「生徒諸君に寄せる」以上に、感銘を受けた文章はありません。

なお、私が決定的な思想的影響をこうむったのは、吉本隆明です。
若い人には、よしもとばななという小説家の父親と言った方がいいでしょうか。

ちなみに、下の画像がわが家の書棚の中の吉本隆明の蔵書です。

わが家の吉本隆明の蔵書

中段の右から4冊目に、吉本隆明による宮沢賢治の評論があります。

吉本は宮沢賢治のことを、上記評論の中で「空想的社会主義者」と称しています。

そして、これにからめて「生徒諸君に寄せる」を抜粋してみましょう。現代仮名遣いにあらためています。

諸君はこの時代に強いられ率いられて
奴隷のように忍従することを欲するか
むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ

新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て

新しい時代のダーウィンよ
更に東洋風静観のキャレンジャーに載って
銀河系空間の外にも至って
更にも透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ

衝動のようにさえ行われる
すべての農業労働を
冷たく透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踊の範囲に高めよ

新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
すばらしく美しい構成に変えよ

諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか

ああ、今書いても読んでも、魂が鷲づかみされる凄い文章ですね…
思想が音楽になっています。

宮沢賢治没後75年、一世紀の4分の3が過ぎてなお、われわれは透明な風につつまれてはいないのです。

なお、吉本経由で賢治を読んだわけではありません。偶然です。
とはいうものの、ある意味崇拝する思想家による、大好きになった作家の評論を読むという楽しみは味わったのですが。

この「生徒諸君に寄せる」は全集第2巻所収です。

文学青年の夢破れて勤労者に

最後に、恥ずかしい話で終わります。

実は、この感銘を受けた「生徒諸君に寄せる」を掉尾に丸ごと引用した大作を書き上げて、中央公論社に投稿したのです。

しかも、それは小説や詩ではなく、プラトンの著作のような思想的対話編だったのです。
実際、無理に形式に当てはめれば戯曲でしょうか、題名も「思想悲劇 かぎろひ」でした。

つまり、それほど宮沢賢治の「生徒諸君に寄せる」に陶酔したという証左です。

このあと、もう一作、今度は新潮社に応募しました。

ブルックナーの交響曲第8番の第1・2・3楽章をモチーフにした、短編の抽象小説でした。
このタイトルは、藤原定家の歌から取って…
忘れちゃいました。

もちろん、どれもこれも落選したのは言うまでもなく、こうして私の文学青年の夢も散り果てて、その後紆余曲折のあとにサラリーマンとなったのです。

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