Google脳は21世紀型の情報処理能力を持ち、記憶ではなく発見し、取捨選択に長けている

別のブログで、Google脳についてずいぶんとはしょって書いたところ、思わぬ否定的な反響となりました(笑

まあ、最初からこの記事は"あやしい"よと、冒頭に印を付けていたのですが、やれやれです。

20世紀的に反論すれば、よく知識やバックボーンもなくして批判できるなぁ、というのが最近の所感ですね。無知の涙でしょうか(失礼)。

知識や情報の広がり方 – 本・新聞とインターネット

「Google脳」とか「グーグル バカ」で検索してみました。

そして、見つけた記事です。

Taron35 から観た世界: Google脳

筆者が、「私たちはある意味で『グーグル脳』を手に入れつつある」とし、大学教員共通の悩みの種を告白しています。

学生レポートを採点していると、キーワードをグーグルで検索し、それを何とか組み合わせて論文らしきものにする、というパターンが少なくない。
おおかたの場合、あまりに難解で抽象的な文言が見当たるために教員サイドが検索し「悪事」がバレるのだが、なかには微妙に文章を幼稚化するという巧妙なものもある。
~2006年2月22日読売新聞夕刊「水曜時評」より~

筆者とは、「水曜時評」氏です。

さて、大きな伏線です。
上記ブログの読売新聞の記事の引用部分を、さらに引用しています。これがGoogle脳を解説するうえで途方もなく重要なポイントになってきます。

「水曜時評」氏の卓見が続きます。

この後が実は気になったところです。筆者は「もしかすると会社の企画書でも同様のことがあるのではないか?」と疑問を投げかけています。「ネット上で検索して、それをコピペ。それで企画書をお手軽に作っているのではないか」ということを指摘しています。そして筆者は「私たちの『脳』はじわじわとグーグル化されつつある」と警鐘を鳴らしています。

ブログ作者の結びです。

思い起こせば、私も辞書を引かずに検索を使って知ったり思い出したりすることが多いんです。… 身体も頭も使わないとどんどん退化していきますね。

グーグル脳にならないよう、気をつけようっと。

私は、しょせん大学のレポートも会社の企画書も、その程度の代物だと逆に思います。

受け付ける側のレベルも問われているんではないでしょうか?

学問的に向上することに意義があれば、必死に生資料に当たるでしょう。そうしないのは、そうする価値がないからです。
企画書も同様。どうせ出しても、取り上げるかどうか。上司そのものが本物の企画書を作ったことがないから、部下もなめるのでは…

実際、私もたった今、検索して情報を探してみて、触発されてオリジナルの文章を書いているわけですよ。

インターネットのお蔭で、時間もお金も節約できて、もの凄いスピードで仕事が進んでいるんです。

これが本当のGoogle脳なんですよ。

さて、上記ブログの締めに入ります。

検索させないことは、20世紀型価値観を墨守すること

2006年2月22日読売新聞夕刊「水曜時評」 – をいろいろ工夫して探しました。見つかりません。なにやら有料データベースにしまい込まれているみたいです。

これこそが、Googleが破壊しようとしている知の排他的独占、もしくは記事そのものをお金にしようとして、人々の知的向上を妨害する元凶なんです。

なぜ、引用の引用という、くだらない、アホらしい、みっともないことをしなければならないのでしょうか?

ブログ記事にたった数行を引用するために、よく分からない有料データベースで購入しないといけないんでしょうか?

新聞記事なんて、既に購読者がお金を払っているでしょう。私は読売新聞の購読者です。

結局、インターネットによって、自分のよって立つ権威や利権を脅かされる者たち、インターネットそのものの革命性を理解できない者たち、決してGoogle脳にならない人たち、こういう人たちが自分たちのやり方でしか知識を高めることを認めないで、反Googleを叫ぶような気がします。

活版印刷によって聖書が大量に出回り、知識が教会の外に民衆の中に広がったために、宗教改革が起こったのです。

その活版印刷のなれのはての新聞社や出版社が、当世のグーテンベルクともいうべきインターネットやGoogleを敵視しているのは歴史のアイロニーでしょう。

Google脳の堕落と栄光

さて、Google脳については、2点ほど池田信夫氏に語ってもらいましょう。

グーグルでバカになる? – 池田信夫 blog

読み書きは人間の本能ではなく、教育によって身につける能力なので、その過程は脳に影響を及ぼす。これまでは本や論文で長い文章を読むのが普通だったが、コンピュータによって画面を「ブラウズ」するようになり、情報が断片化している。またデータを忘れても、検索エンジンで入手できるようになったので、記憶力が減退する可能性がある。

グーテンベルクが活版印刷を実用化したとき、カトリック教会はそれを神の教えを広める技術として歓迎したが、印刷された聖書は教会による知識の独占を崩し、宗教改革や宗教戦争の原因となった。

インターネットで、かつて一部の人にしか入手できなかった情報が多くの人に共有されるようになったことは、大きな進歩だ。しかし記事がページカウントで序列化されると、ジャーナリズムが軽視され、新聞社は海外支局を縮小している。メディアがデータベース化すると、深い思想や芸術は表現しにくくなる。それは「コンピュータに知能をもたせて人間に近づける」というグーグルの理想とは逆に、人間の知能を平板化してコンピュータに近づけるかもしれない。

いつの時代も、流行りものによって堕落する人たちと、向上する人たちがいます。最後は、本人の能力になってくると思います。

上記はネガティブな面。下記はポジティブな面です。

インターネットはいかに知の秩序を変えるか? – 池田信夫 blog

前に紹介した「グーグルでバカになる?」の逆に、書物のように知識を系統的に整理するのは近代社会の特殊な秩序で、情報の爆発によって分類は破綻し、すべてはその他(miscellaneous)になると主張する本。

『カラマーゾフの兄弟』を人類の最高の成果と考えるような人にとっては、グーグルはそういう「大思想」を滅ぼす元凶だろう。しかし世の中に『カラ兄』を最後まで読んだ人が何人いるだろうか(私は高校生のころ読んだが今はとても読めない)。

ここで茶々入れです。

私は、『カラマーゾフの兄弟』や他のドストエフスキーの小説のいくつか(悪霊、罪と罰、未成年、白痴など)は、大学時代に読みました。

問題は、池田さんも私も、若いころにはインターネットがなかったということです。ですから、今の若い人たちは、やはり重厚な古典を読まない、読む価値を感じないかもしれません。

本という形式は15世紀の活版印刷以降のものであり、レコードで音楽を聞く習慣は、ここ100年ぐらいのものだ。それは流通費用のかかる市場で、一定のまとまった分量がないと利潤が出ないという資本主義の要請によってできた形式にすぎない。情報コストが限りなくゼロに近づくインターネット時代には、知識は断片化して雑然とした「その他」の集積になり、それをデータベース化するグーグルのようなシステムが社会のインフラになるだろう。

アメリカでは、専門家のブログがメディアで論評されるようになっている。あと10年もすれば、ブログやSNSが主要なメディアになるだろう。パスカルもケインズも、現代なら偉大なブロガーになるのではないか

インターネットは、もはや空気のような存在になってきました。

人類は、ありのままを受け入れる側と、抵抗する側に分かれて、変化のときを戦っているのかもしれません。

SEOで分かるGoogle脳の優秀性

SEOという業界にいて、もちろんGoogle検索などで上位に表示させようとしているわけですが、いつも感心させられています。

あるキーワードで検索したときに、Googleの中の人たちが明確な価値基準を作って表示されるページの順番を並べ替えています。

これをアルゴリズムといいますが、アルゴリズムは機械的なプログラムであっても、この仕様を決定するのは人間です。
つまり、検索してはじめの方に出てくるべきページについて、理想をもっているわけです。

さらに、私を含めて作為的にはじめの方に出るようにGoogleの裏をかくのですが、これが行き過ぎるとスパムとなります。

検索ユーザーからすれば、情報のノイズです。

これも、アルゴリズムもしくはフィルターで除去するんですね。

よって、検索できたえられたGoogle脳は、だらだらと情報収集するわけでもなく、価値観をもって取捨選択するのです。

さらに、AdSenseなどでインターネットビジネスを展開するサイトのオーナーに広告を出してもらうのが、Googleのビジネスモデルです。

これも背景にあるのでしょうが、検索ユーザーよりもむしろ、ウェブマスターの方を重要視している姿勢がうかがえます。

スパムをやられては困るのですが、たくさんのサイトオーナー向けのツールが用意されていますし、検索エンジンとは、情報やコンテンツあってこそです。

よってただ情報をもらうだけのユーザーよりも、Webサイトやブログのクリエーターを、情報発信する人々を、より評価している気がするのです。

これは、Yahoo!とは真逆ですね。

Yahoo!は、ポータルにやって来て、バナー広告などをクリックしてくれるユーザーの方を大事にしている感じです。
コンテンツも、自分たちで用意していますし。

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