「フランダースの犬」ネロになりたくない、ネロにならせたくない。「閥」への憎しみ

私は、少年時代から「あること」に憤りを覚え、青年時代に覚醒しました。

カール・マルクス、なかんずく「資本論」は今でも私の思想哲学の源泉となっています。
ということは、青年時代の覚醒では、まず「左翼」になったわけです。

しかし、今は1円株式会社とはいえ、起業しています。
会社が大きくなれば雇用もあるでしょう。
そうなれば、「サヨク」が言うところの「剰余価値」を搾取する立場になるわけです。

だがしかし、依然としてマルクス「資本論」を人生第一の思想書としてリスペクトし、かつ「左翼」的な思想も私の中では健在です。

「資本論」を起業家的に読み込む話はいずれまたにして、今回は私の「左翼」とは「リベラル」のことであり、フランダースの犬のネロ少年にならないこと、ネロ少年のような目に遭う社会を革新することであることを述べたいと思います。

「フランダースの犬」のネロ少年の悲劇の本質

今から語ることは、ある人たちの反感を買うでしょう。

私が「フランダースの犬」のネロ少年を痛ましく思うことは、貧乏から抜け出せなかったことでもなく、若くして死んだことでもありません。
そういった通俗的なお涙頂戴物語なら、かえって吐き気がするほどです。

まず、最近やかましい派遣切りの問題ですが、雇用と福祉、労働と社会保障を取り違えてはなりません。ピントがずれている気がしてならないです。

それはさておき、私は絵画の才能があるにもかかわらず、それが認められずにルーベンスの作品を見ながら昇天したネロとパトラッシュの運命を呪うのです。
才能あるネロ少年の不遇が問題であり、これは彼個人の悲劇であるだけでなく、画家を一人潰してしまったという社会的損失ともなるわけです。

つまり、才能が世に出ない不如意、逆に才能がなくても親が権力や金を持っていたら、のほほんと過ごせる理不尽、これが断固許せないと私は言っているのです。

才能のあるなしにかかわらず、人間が最低限の生活をすることは福祉の役割です。それはそれで、税金によって国家が保証するべきでしょう。

劇場版 フランダースの犬

上図のように、私はキャンペーン価格の2,800円で購入したのですが、今はちょっと高くなっているようですね。

テレビシリーズの総集編のDVDもあります。

両者の違いは、劇場版は最後に救済的なエピソードを加えていることです。こちらの方が、視聴者もほっとできるでしょう。

諸悪の根源、「リベラル」の仇敵である「閥」

「閥」とは、次のような実に嫌でたまらないものたちのことです。

  • 家柄
    • 門閥、名閥
  • 出身や利害をともにする排他的集団
    • 閨閥、財閥、学閥、軍閥

つまりは、地縁血縁などの縁故によって、能力のない者が引き立てられる、封建制度の遺物です。

金持ちの家に生まれれば金持ちに、政治家の家に生まれれば政治家に、そういった不快で理不尽な日本の社会に深く根ざしている因習のことなのです。

これは、日本の社会に大いに役立つ会社を作るかもしれない起業家を潰し、日本の社会をより良くするかもしれない政治家を埋もれさす、諸悪の根源になるのです。

平成日本に必要なのは、労働者の解放ではなく、それ以前の、本物の近代化なのかもしれません。

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