「そして世界に不確定性がもたらされた」 人間は真理に到達することができない

最近つくづく思うことは、起業家にとって絶対に必要なイノベーションのことです。
泳ぎ続けないと窒息死してしまうマグロにたとえることができるでしょうか。

経営は常に革新し続けなくてはならない。変化しなくなったとき、会社は潰れてしまうと…

ところで人間の歴史にとっては、あるイノベーターの出現によって時代が大きく回天していきます。
では、イノベーター自身はどうなのでしょう?
やはり個人においても、人生観や世界観、思考や思想に何か劇的な変化があったのではないでしょうか。

私自身を振り返れば、高校二年生の夏休みに夏目漱石の三四郎を読んで文学の麻薬に侵されてしまいました。
それから国語の先生の影響で、藤原定家や西行、史記や三国志など、日本や中国の古典の虜になりました。
さらには哲学に覚醒して、鎌倉仏教、特に親鸞、あるいは当世流行の実存主義のサルトル、極めつけはニーチェと、古式蒼然としたインテリ青年の道をよたよた歩くようになりました。

大学生時代には、先輩の薫陶もあってマルクスから吉本隆明、廣松渉などにどっぷり漬かり、友人の影響でクラシック音楽や絵画などの鑑賞にも耽りはじめました。
一方で左翼思想を熟成させながら、他方ではプチブルジョアジーの趣味もお盛んと、はなはだ分裂気味だったわけです(笑

だがしかし、このインテリもどきの頭でっかち青年が、心底ひっくりかえったのは、ハイゼンベルクの不確定性原理を知ったときでした。

「そして世界に不確定性がもたらされた」 アインシュタイン、ハイゼンベルク、ボーアの量子力学戦争

ハイゼンベルクの不確定性原理は、数式も何も知らないドシロートの私の理解によれば、簡単には人間の知識はどうしても客観的な真実には到達しないということです。

対象を把握するには観察しなければなりませんが、観察の行為そのものが対象への干渉となってしまい、観察した瞬間に対象が変化してしまうということです。

もちろん今は、量子力学というミクロの科学的理論を、あらゆる自然現象やマクロの領域にまで拡大して、不可知論やニヒリズムで覆い尽くす愚には気づいています。

しかし当時、知識人気取りの青年にとって、客観的な事実というものはない、人間は永遠に真理を知ることはできない、これが途轍もなく恐ろしい理論だったのです。

知を追いかけていくインテリ小僧が、知は永遠に謎という結論を与えられて、とことん打ちのめされたわけです。

そして、当時の覚醒の記憶がよみがえりました。

そして世界に不確定性がもたらされた デイヴィッド・リンドリー著

原題は「Uncertainty: Einstein, Heisenberg, Bohr, and the Struggle for the Soul of Science」となっていて、量子力学の誕生と、それをめぐるアインシュタイン、ハイゼンベルク、ボーアを中心とした、場違いな表現ですが、まるでサスペンス小説となっています。

レントゲンやキュリー夫人などのおなじみの人たちがたくさん登場して、ミクロの世界の不審な現象をそれぞれ追い求めては、次の世代に渡していきます。ニュートン物理学では説明不可能な事象に対して、数々の物理学者たちが挑戦しては頓挫していきます。

ページをめくってもめくっても、ハイゼンベルクはおろか、アインシュタインさえもなかなか登場してきません。
ところが、これがじれったいわけではなく、断片的な物証が少しずつ小出しにされて、読者は探偵気分で次の展開を予想し、当たり、そして裏切られていきます。

圧巻なのは、ハイゼンベルクは人類史を大きく回天させる大発見をするものの、数式好きの物理学者として過ごし、他方ボーアは物理学者というよりもイデオロギッシュに量子物理学を拡張した伝道師のようにふるまったことです。

これに対して、アインシュタインは相対性理論を発表した後に登場した不確定性原理に対して、人間は必ず真理に到達するという信仰にも似たイデオロギーで、残りの人生を量子力学への攻撃に費やしたごとくです。つまり、保守反動、量子物理学を全否定する古典物理学の護持者となっているのです。

アインシュタインに限らず、ほとんど誰もが多かれ少なかれ古典物理学の呪縛にからめ取られ、純粋な学問的探求ではなく、不確定性という結論に対する宗教的な拒否感がにじみ出ています。これは、当時の合理主義に支配された西洋知識人の宿命かもしれません。

しかも量子物理学の誕生への道も、決定的なところでは、偶然やひらめきなど、思いもかけないことに起因していたようです。

量子力学や不確定性原理の歴史を綴っているにもかかわらず、物理学的な命題を数式をほとんど使わず、まったく文学的に解説されていて、われわれのような素人でも分かりやすく書かれています。

先の福沢諭吉の伝記も同じですが、歴史というものの不連続の連続、小変化の積み重ねが大変化となるダイナミズムがたまりません。

「そして世界に不確定性がもたらされた」は、人類の知的な冒険が痛快に描かれた大歴史絵巻です。第一級の知的エンターテインメントです、ぜひ読んでみてください。

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