イノベーションのビフォー・アフター 歴史の破壊と創造
去年のNHK大河ドラマは、篤姫でしたね。
宮崎あおい人気もあって、非常に視聴率もよかったと聞いています。
残酷かつ楽観的な歴史 革命というイノベーションと人材
篤姫は大奥にて徳川の幕を引き、福沢諭吉はそれ以降に花開かせます。
というか篤姫は、諭吉と同時代人にして、徳川の終焉をソフトランディングさせたともに、それ以降は表舞台から退いたと言えるでしょう。
篤姫の江戸時代、諭吉の明治時代
下記のエントリーでは表現する力が足りませんでした。
が、こういうことです。
(a)徳川幕府:鎖国。チョンマゲの老中や若年寄、奉行などによる行政
(b)明治政府:海外留学にて、欧米で見識を高めた20代の若者が中心
ある時代に活躍した人を追いかけると、スナップショット的に誤解しがちですが、(a)から(b)は、政治、経済、文化としては、ほぼ断絶しています。
(b)では、なるほど薩長(土肥)という藩閥が支配的となって、あまり変わっていないかのようですが、明治政府は下級武士出身でも多く登用しています。
初代総理大臣の伊藤博文は、貧農の出身です。
そして断絶というものの、同じ日本の国であり、同じ日本人が住み続けていたのです。
この大変化は、人々にどう受け止められたのか?
人々は、激動の時代をどのように過ごしたのか?
欧米列強の脅威と内戦
欧米が押し寄せて来ているのに、日本国内では内戦が繰り広げられました。
「勝てば官軍」と後世、残っています。
これを、後付けではなく当事者として想像した場合、
- (b)の勢力は何てことをやろうとしているのか、日本の国を滅ぼすのか。このままでは、植民地にされてしまうぞ。
- (a)が300年間に渡って日本国を治めてきたのだから、(a)にまかせて緩やかに変化するべきなのだ、外国が侵略しようとするときに、経験も実績もある(a)を打倒する考えはおかしい。
- 元寇以来の、何百年に一度の、大国難だから、現政権が良いと思う政策を実行したい。なぜ(b)は邪魔をするのか?
と、なりませんかね?
しかし、(b)の人たちは、外圧や侵略の脅威のもと、(a)はこの時代に日本を統治する能力がない、だから武力ででも倒すべき、と判断したわけです。
江戸城の無血開城は篤姫の手柄ですが、(b)にとっては、徳川に連なるものが血を流そうが、首を斬られようが、知ったことではなかったのです。
激動期の人材の輩出
さて当然、(b)の中心にいた中高年から老人のほとんどは、新しい日本で働くことができません。
さらには維新完遂前に、吉田松陰や高杉晋作、坂本龍馬、大村益次郎などの、大人物もほとんど死んでいきます。
古い政治の経験者を駆逐する一方、これからの日本を担っていく人々もいなくなった。
どうするのか?
結局は、多くの実に若い、20代の留学経験者が中心となって、(a)の政治家や官僚、実業家となっていくわけです。
『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』を読むと、驚くほど若い人たちが第一線で働いています。
どんな状況でも、人材は次から次と登場して来ました。
肝心なのは、ここが注意点ですが、有能な人材は、登用されたり発掘されたりもしましたが、それ以前に自分から世の中に躍り出ているのです。
待っていても、デビューはさせてもらえません。
破壊と創造
ポイントは、
(a)の立場に立てば、世上の混乱は大ごとであり、なるべく波風立てずに、昨日と同じ今日を迎えたいと願います。
変化も、微量に留めたいと思い、その役割も自分たちが担おうと計らいます。
しかし、(b)の世の中のためには、(a)は滅亡する必要があるのです。
むしろ、旧時代的な秩序や制度は可能な限り破壊され、そこに所属する人材は一斉退場するべきなのです。
動乱上等!
破壊のあとには創造がある。
いやむしろ、創造するためには破壊が必要である。
失言総理も、酩酊大臣も、大創造に向かう小破壊なのでしょう(笑
政権交代は真の破壊のはじまりであり、何回かの政界再編を経たあとに、真の創造がもたらされるのでしょう。
そして私たちのビジネスも、創造のために破壊を繰り返さなければなりません。
イノベーションとは、そういうものなのです。