ブラームス(Brahms)作曲 交響曲第1番ハ短調作品68
私は、SOHOということもあって、朝からずっとiMacのiTunesで主にクラシック音楽を流している。
気になるエントリーを見つけた。
どこも凄くなくてどこも斬新でなく才気も華もないブラームス
最初に、iTunesのブラームス交響曲第1番のコレクション。
22種類あるようだ。
たった今聴いているのは、Norrington, Roger (1934- )指揮、London Classical Players演奏、1990年の録音。
さて、上記の吉松隆さんのブログから、
そもそもブラームスの音楽ってハッキリしたメロディはないし耳に残るところないし新しいことは何もやってないし、内声が延々と内省的なこと言っているだけでメインテーマも発展性も結論もないですし、才気も華も全然ないんですよね。
うーん、プロの作曲家が言うから間違いないんだろうけど、私も、当時のライバルと目されていたブルックナーに比べると、やはり見劣り、聞き劣りがしていたことも確かである。
この凄くなく斬新でもないからこそ、後のチャイコフスキーやドヴォルザークやシベリウスなどの教科書的なお手本となったそうである。
自分勝手に暴走して自爆したベートーヴェンの散らかしっぱなしの交響曲の世界を地道に整理整頓して「聞いて面白いわけでもお金になるわけでもないクラシッ ク音楽」を21世紀の現代にまで生き延びさせることになった基礎を作った。その「どこも凄くなくてどこも斬新でない」ところが凄くて斬新なんですよ!
実は音楽というのは、旋律、和声、律動でできていて、バッハからハイドンときて、モーツァルトでやり尽くした感があるのではと思っている。
もう、「ドレミファ」の組み合わせを再生産しているだけで、それこそどの曲も「凄くなく斬新でもない」状況にあるのだと。
だから、ジャズがコード進行や、変則リズムなどで、音楽の寿命を延ばしたのだろうけど、もう新しいことをやれなくなっている。
これは、文学でも絵画でも同じだろう。
さらに実際のところ、そういった芸術史が終わっているのは、プロフェッショナルというか職業芸術家の革新的作品の創造が終焉しているだけで、もっと人間的な等身大の芸術の時代がはじまっているのだとも思っている。
これについては、また後日。