事業仕分け異論 作曲家吉松隆のおねだり科学文化芸術関係者への苦言

事業仕分け騒動で、政府に不見識とののしる凡庸な輩と、立派な御仁と、反対に人材の仕分けができそうである。

大政翼賛とか国家総動員とか非国民とか…

吉松隆氏は日本の作曲家であり、クラシック音楽に興味を持ってすぐに知った名前であることと、氏のブログはRSSチェックしている。

その吉松氏のブログでは、事業仕分けによる予算カットに対して、世のクラシック音楽家がほぼ一斉に騒いでいることへの苦言が書かれている。

国家と芸術2(…さらに偉そうに): 八分音符の憂鬱

確かに日本は文化にかける予算が著しく低く(国家予算の0.1%前後らしい)、それは嘆かわしいことに違いないけれど、もともと「国」に文化的見識などあるはずもない。もし科学や文化芸術に国家予算が投入されるとしたら、それは軍事的か経済的か外交的か何らかの理由で国益になる場合に限るのであって、そうでない支出は「ムダ」というのは(残念ながら)正しい政治的見識なのだ。

だから、国の利益、国民の利益を錦の御旗にして、税金をジャブジャブを飲み込むことは、権力に魂を売ることであり、その時が来れば、国策発明や、国策文化によって国威発揚させられるようなこともあるんだと警告しているようである。

けだし、科学はいつも権力に利用されたり弾圧されてきたし、芸術もまたそうなのである。

一廉の人物こそが、優れた見識を持っているのである。

そして、そんな凡庸な連中への批判よりも、もっと根深い、文化後進国である日本自体を嘆いている。

今回の新政権による助成カットが心を冷えさせるのは、国の不見識のせいだけでなく「私は科学や文化芸術を理解する気もお金を出す気も見に行く気も支援する気もない。そういうことはすべて国がやるべきだ」という国民ひとりひとりの意識(本音?)が見え隠れするからだろう。

科学や芸術が商業ベースの載ること、市場経済のルールに従うこと、そういう必要はないにせよ、科学も芸術もなくても済むと大多数が思うような民度の国の有様に、心が心底冷えているのである。

事業もまた同じことが言えるのではなかろうか…

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