岩崎弥太郎と三菱四代:河合敦(著) 龍馬伝その後の三菱財閥史

龍馬伝は、三菱創業者の岩崎弥太郎から見た坂本龍馬というつくり方をしている。起業家でもあった政治家・坂本龍馬と、政治にかかわり、利用し、翻弄された岩崎弥太郎。

さても三菱といえば、三菱東京UFJ銀行、三菱商事、三菱重工業を筆頭に、「三菱」がつくほとんどの企業群の、巨大なグループである。
また三菱がつかないところでは、日本郵船、新日本石油、東京海上日動火災保険、旭硝子、ニコン、キリンホールディングス(旧麒麟)などがある。

幕末維新から明治大正昭和(終戦)までの、起業と企業の物語

まず、三菱を興したのは岩崎弥太郎であるが、今日の三菱グループの前身?三菱財閥のかたちを作り上げたのは、弥太郎の弟である弥之助ということだ。

そして、三代目が弥太郎の嫡男久弥、四代目が弥之助の嫡男小弥太。

敗戦による財閥解体と財産没収によって、岩崎家の三菱独裁経営も終わる。

とにかく、起業家たる者、必読の書である。

また、幕末から明治維新を経て、大正、昭和の終戦まで、日本近代史を一企業の存亡から俯瞰することができるので、歴史認識も補強される。やはり必読。

岩崎弥太郎

あのホームレス(失礼)のような弥太郎が、大三菱を興すわけだから、凄いとしか言いようがない。日本起業家の頂点の人ではなかろうか?

大河ドラマは、脚色あり、史実を曲げるところありで、長崎に行く前に弥太郎は、広大な田畑を開墾し、農業をベースに商売も軌道に乗せて岩崎家は潤っていたらしい。

亀山社中が海援隊と改称され、土佐藩の資本を受け入れるようになるころ、長崎で弥太郎と龍馬が邂逅する。この時期では後藤象二郎が土佐の重鎮となっている。

が、そのあたりはテレビのお楽しみ。

大政奉還直後に坂本龍馬が暗殺されるので、龍馬伝もそこまでだろう。

運もずる賢さもあったのだろうが、弥太郎の経営者としての凄みは、おそらく龍馬伝のその後に強烈になる。

福沢諭吉との縁で慶應義塾出身者や、東大卒のインテリ、さらには欧米外国人を多く雇用して、企業の技術力や専門性を高めた。

教養のない者に大卒者の気風を養わせるのはとても難しい。反対に、大卒者をしっかり教育して三菱色に染めていくのはたやすいことだ。だから私は大卒者を雇うのである。

弥太郎時代の三菱は、海上王国、船舶輸送でほぼ独占企業となっていた。

危機は二度ある。

一度目は、明治新政府と癒着して三菱の社員が横柄となったおりに、外国企業との競争で価格戦争に突入し、国家の協力を得て競合を撤収させた。

二度目は、政争に巻き込まれてあろうことか国家が三菱を潰しにかかるのである。

弥太郎は二度目を乗り切れなかった。癌で逝くのである。

岩崎弥之助

弥太郎のあとを受け継ぐことになった弥之助は、その前に兄の薦めもあってアメリカに留学し、一年ちょっとで英語をマスターしたらしい。留学中の日本人と群れずに英語漬けの環境が効果があったと。

後藤象二郎の娘と結婚。

と、そんなことより、弥之助は政府と手打ちをして、弥太郎が一代で築いた海運王国を放棄した。社員数千人の生活も慮ってのこともあった。

しかし、銅山、水道、炭鉱、造船、銀行などへ、事業転換を図る。

戦前の三菱財閥、戦後の三菱グループ―この巨大組織は、弥太郎の興した三菱商会からではなく、弥之助が立ち上げた三菱社からすべては発展していったものなのだ。

なお、炭鉱の軍艦島(端島)も弥之助時代に三菱が手に入れたものである。(ほかに意外なのは小岩井農場も)

ともあれ、炭鉱も造船所も丸の内も、政府のお下がり、押し付けであり、弥之助の経営手腕で事業として採算ベースに乗せ利益を生むようになる。官から民へ!

ちなみに手放したはずの海運業も、いつの間にか筆頭株主となって日本郵船も三菱の傘下となる。

久弥や小弥太も凄い経営者である。これはもう買って読むしかない。

とにかくおもしろい!

為になる、元気がもらえる、日本人として誇りを持てること間違いなし!

今年、三菱グループのある企業に採用されなかった若い人も多いだろう。しかし、その三菱は、そしてそれ以外の多くの大企業も、元はなかったのである。ある起業家が興した会社がほとんどである。三井、住友も、江戸時代からとはいえ、ゼロからの創業者がいる。

就職難と泣かずに、起業し、雇用できるように頑張っていただきたい。

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