悪名の論理―田沼意次の生涯:江上照彦(著) 松平定信と大衆におとしめられた改革派政治家

メディアや権力にマインドコントロールされずに、独立自尊の起業家を目指すならば田沼意次の功績も再評価しなければならないだろう。

日本の先人の築いた歴史を学び、さらには自身の成長の糧にしたいものである。
戦国武将ばかりを追っかけるミーハー歴史ファンも卒業して、戦時ではなく平時の政治や経済にも関心を持つべきか。

白河の清きに魚もすみかねて 元のにごりの田沼こひしき

悪名の論理―田沼意次の生涯:江上照彦(著)

白河藩主であった松平定信の寛政の改革にウンザリして、田沼時代が懐かしまれた狂歌である。

民衆は小児のように単純だ。民衆は、人間を善悪どちらかに分けないでは気がすまない。善人でないなら、悪人でなくてはいけない。

世間の批判というのは、まことにおかしなもので、雲のうえのやんごとない王侯貴族には案外寛容だが、同じ身分や階級からの成り上がり者に対してはたいへんきびしい。いうなれば仲間うちからどえらい出世をしたという、ただそれだけで、意次は世間から憎まれ悪人にされる資格が十分だったのだ。

これが「悪名の論理」である。

彼は世相そのものを時流の必然というふうに見ている。武士が凋落するかたわら町人が台頭するのも、士道がおとろえて世の風紀が乱れるのも、すべてそうなる理由があってのことであり、それを無理に禁止し弾圧するのはたいして意味がないし効果もあがらない。むしろ世情の自然な流れに即して、しかるべき手を打つのが政治の妙諦だ、と意次は考えるのであった。

現代人の大多数の人たちよりも、田沼意次は先進的で開明的であったようだ。

意次の時代は、「芸妓諸道さかんにして沸くが如く(上田秋成)」で、与謝蕪村や池大雅らが活躍し、

おおげさに言えば、レオナルド・ダ・ヴィンチらに象徴されるルネサンス人を彷彿させる。

なかでも、意次は平賀源内や杉田玄白に目をかけた。

田沼意次の成長戦略

徳川幕府・政権の税収は米一本に等しく、八代吉宗の享保の改革も、つまるところは倹約による財政収縮をはかりながら、年貢取り立てを強化した増税であった。

意次は、生産や交易、金融から、はては売春にいたるまで、非公式経済を認める一方で税の網をかけた。幕府の財源が増えたわけである。

長崎でのオランダとの貿易に飽きたらず、北海道開拓をベースにロシアへの開国に踏み切り、さらには世界との貿易や外貨獲得も目論んでいる。

寛政の改革 松平定信の反動

こういったリバタリアンの市場原理主義は、成り上がり者の政策ということもあって、意次憎しに凝り固まった松平定信に全否定される。

蘭学を禁止し朱子学を正統とし、本居宣長も、国学ゆえに定信に嫌われた。頼山陽は好かれた。

定信政権ができて以来、世間は目に見えて不景気になり、年貢運上の取り立てが前よりきびしくなったことは予想外だった。おまけに、事こまかに華美と奢侈を禁じ、売女や芸者を取締り、政治批判や艶本を弾圧し、四方に隠密を放って監視するというふうだったから、人々は息苦しくてたまらない。かえって前の田沼時代が恋しくなるような次第で、人心はまったく離反した。

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