明治維新などのリアルタイムのイノベーションと藩組織(会社)の意志決定

史実とは違いますが、龍馬伝では寺田屋を襲撃させたのは京都守護職の松平容保(かたもり)となっています。この容保は、徳川家康の血を引き、「朝敵」会津藩の最後の藩主でもあります。

坂本龍馬の逮捕ないし殺害を指揮したのは、伏見奉行の林忠交(ただかた)です。
伏見奉行は遠国奉行のひとつ、今でいえば行政・司法・検察・警察機関といったところでしょうか?

よって時の権力からすれば、坂本龍馬は、世の治安を乱す大罪人であり、逮捕や抵抗時の殺害は当然のことになります。

この時代に今の新聞やテレビがあったならば、坂本龍馬の極悪人振りをさぞかし叩きまくっていたことでしょう(笑)
また明治維新そのものも、徳川幕府に庇護されたメディアが醸成した「世論」や「民意」とやらに、つぶされた可能性もあります。現代と同じように…

江戸300藩の意外な「その後」:PHP研究所

江戸300藩の意外な「その後」

しかし、明治維新は起こったのです。

信長・秀吉・家康の天下人物語と、戦国武将については、よく取り上げられますが、幕末維新でも同じように意志決定が勤皇か佐幕かで、その後の運命が変わっている組織や人々も多いようです。

とるに足らないことでしょうが、北陸には福井県や富山県はありますが、加賀県や金沢県がないのも、理由があるらしいです。
戦国から江戸草創期にかけては、藩祖の前田利家や正室松は賞賛を浴びているものの、幕末維新ではこの藩からはほとんど人材が出なかったということです。

もちろん、世の中が動いていることさえ知らない、分からない、士農工商それぞれの大衆がほとんどだったのでしょう。

勤皇や攘夷でも、倒幕を選択するのは、長州や薩摩でも、維新直前のようです。

まして、他の諸藩も主人から家来にいたるまで、徳川の世が終わるなどとは夢にだにしていなかったはず。

歴史のリアリズムを勘定に入れると、いつも知らないところ、関わりのないところでイノベーションや革命が起こっています。

さらには、自分は安全圏で日和見を決め込みたくても、気がついたら「朝敵」にされたり、新政府軍に徴兵されたり、住んでいるところが戦場になったり、運命が外からやってくるケースが多いです。

そして、みずからイノベーション、革命の側に参加した人のほとんどが、生き残ってさえいれば、いい待遇を受けているようですね。

つまり、どれが勝ち馬か、リアルタイムでは分からないのですから、自分が馬になって、死ぬほど走り回って、勝ち馬になってしまうことが、私としては一番いい選択だろうと思えます。

結局は、歴史の大舞台でも、事業においても、イノベーションは勝つまで止めない大バクチですね。

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