土佐勤皇党症候群 ローカルと既存組織の限界、現在の管理職は守旧派にして無能

龍馬伝は、土佐勤皇党を根絶やしにした後藤象二郎と、坂本龍馬、および土佐脱藩浪士を含む亀山社中の連中が、手を結びました。

世に言う「海援隊」の誕生です。

土佐藩を変え、土佐藩が日本を変えるという幻想

ドラマとしては、過去の私怨を棄てて、お互いの思惑で、それぞれ未来を良くしようという判断になっていました。

そこで、後藤や龍馬にとって、あるいは龍馬伝ではちょい役の中岡慎太郎にとって、土佐勤皇党とはどういう意味があったのでしょうか?

後藤象二郎は、上士に人材がいないので、岩崎弥太郎や坂本龍馬に頼った

武市半平太(瑞山)を首領とする土佐勤皇党は、元々が下士の集団です。

これを根絶やしにしようとも、上士はそのままですから、よほど山内家ゆかりの武士たちは無能だったのでしょう。

長州でも、高杉晋作の騎兵隊の例もあります。初代総理大臣の伊藤博文も、長州の下級武士でした。

教訓としては、乱世ではほとんどの既得権者、権力者、上級幹部、中間管理職、中高年(笑)などは、穀潰しの役立たず、それどころか改革の邪魔な存在だということです。

土佐勤皇党症候群

目的が日本の革命であるならば、無理に土佐というローカルで頑張る必要はないわけです。

ですから、目覚めた人たちは、土佐に限らず脱藩し、舞台をローカルからアーバンへと移しています。

武市と土佐勤皇党の、最大の問題は、土佐という生まれ育ったローカルを棄てなかったこと。
また、土佐藩という武士で構成される組織というスキームが所与であったこと。
吉田東洋までは抹殺したが、山内容堂はテロの対象にできなかったこと。でしょうか…

つまり、武士のままでいて、武士の世を変えることは、不可能ということなのです。

脱藩は、ローカルを棄てただけでなく、武士という旧体制の価値観も壊したということでしょう。

また、詳しく調べてはおりませんが、長州も薩摩も、藩主がどれだけ発信したのか、疑問です。
無能ではなかったでしょうが、木戸孝允や西郷隆盛、大久保利通などが、主導権を握っていたように思えます。

地方の中小企業の社長は、とかく群れたがるようですが、すでに土佐勤皇党症候群にかかっているかもしれませんよ。

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