「不運も実力のうち」レジデント初期研修用資料から
私は最近、非常に「運」や「ツキ」にこだわっています。
不運も実力のうち
新聞やテレビに一喜一憂、精髄反射してレベルが低いんじゃないの? と思われるアルファーブロガー(BLOGOSに載るほとんどのブログ執筆者など)は、たまーには、自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の頭で考えて、練りに練った標準以上の記事を書いてみたら。と思うこの頃です。
政権批判はあってもいいですが、代替案がないし、自分が総理や大臣になったら、日本を変えてくれるかどうか、無責任な寸評の垂れ流しとしか受け取れませんから、お粗末です。
この人たちの記事でもない愚痴を目にしてしまったら、運が悪くなる、ツキがなくなる。最近は見出しだけでスルーですね。
逆に、いつも凄い記事が出てくるのが、このブログ
- 不運も実力のうち – レジデント初期研修用資料
第二次世界大戦中の米国では、将軍は、「運が悪いこと」も罪悪として問われたのだという。
これはまた、ソースを知りたいところですが、先を続けましょう。
評価を受ける側からすれば、運勢という、観察できないものを評価の対象にされるのは不公平に思えるかもしれないけれど、「あるけれど見えない」ものを「ないこと」にしたところで、結果に対する責任というものは「ないこと」にはできない。
たとえば、BLOGOSのテレビっ子ブロガーなどは、見えるものだけを評価して、エントリーしています。多くの国民も同じだ、これが世論だと勘違いしているんでしょうね。
見えないものを考慮の対象に入れることで、結果として「判断しない人」が生き残る、いびつな文化が排除される。
見えないものを見る力が、その人を上に立たせ、見えないものを見る組織が、他を圧倒する集団になるというようなことだと思います。
官僚であっても政治家であっても、「運が悪い人」は、上に居座ってはいけないのだと思う。
もちろん社長や役員、部長や課長も同じですね。
運やツキを組織化していた日本
有名な安倍晴明は、陰陽師という身分?職業?に就いていました。
いろいろいきさつがあるようですが、日本に天皇制を定着させたのは天武天皇でしょう。
彼の政府には、「陰陽寮」というものが設けられ、なんと明治時代まで存続していたらしいです。
これは、占術師を国家権力が独占して、反乱や呪詛を防止するということでしょう。
レジデント初期研修用資料ブログは運を評価するアメリカのエコシステムに言及していますが、飛鳥奈良時代の日本人(政権のまわりの皇族や貴族)は、見えないものを見ようとしていた、と言えるのではないでしょうか?
特に、天武天皇のような偉大な権力者が、政治や経済はもとより、特に宗教や神話などまで支配しようとした事実は、組織運営として学習するべき題材と思います。
ちなみに、天武天皇が編纂を指示したといわれる古事記や日本書紀は、手垢がつくほど読みました。