「メディア・コントロール」ノーム・チョムスキー著 テレビや新聞と戦争・侵略・虐殺

大学生時代にハイゼンベルクの不確定性原理に出会って以降、知は徘徊と変遷を続けていましたが、今回ようやくすべての辻褄があい、私の思想や哲学も完成を迎えることになりました。

つまり、世界の見方や生き方、ビジネスにおいて、不確定性や偶発性を軸に、すべてを脳の中に取り込むことができたわけです。

これは、後日エントリーしますが、ここでは私が集大成にいたるきっかけとなった本を紹介しておきます。

『メディア・コントロール ―正義なき民主主義と国際社会』ノーム チョムスキー著

非常に刺激的な、というよりも衝撃的な本です。

「メディア・コントロール」ノーム チョムスキー著

アメリカのごく少数の支配層は、自分たちの利益のために他国に戦争を仕掛け、侵略し、虐殺を行ってきたという告発です。

そして、そういった極悪非道の国家犯罪を隠蔽し、場合によってはテレビや新聞などのメディアを駆使して、大衆を洗脳したという。

つまり、全体主義国家が警察や軍隊や監獄などの暴力によって大衆を抑圧しているのに対して、アメリカという「民主主義」国家は、報道や宣伝などの「民主」的な手段によって戦争翼賛の世論をつくり、他方で正しい意見を持つ人を孤立化させて封じ込んだということです。

アメリカの非道、アメリカの相対化、そして日本。あるいは自分

ジョン・F・ケネディが大統領に就任したのが1961年。ベトナムへの介入も、ケネディの決断です。早期撤退を志向したということばかりがクローズアップされていますが。

また、イラクのフセイン大統領も、アフガンのタリバンも、元はアメリカが支援したわけです。悪の枢軸とか、国際テロリストとか言っても、アメリカの自作自演の可能性もあるのです。

メディア・コントロール の奥付では、2003年初版となっていますから、これ以降にチョムスキーが描写したとおりが再現されて、ブッシュが大統領に再選され、そしてイラク侵攻がなされたということになります。

とはいうものの、アメリカへの幻想を打ち砕くとか、アメリカを批判するとか、そういった内容として読んではもったいないですね。

アメリカという国の、政治や経済、あるいは文化に対して、相対化することは大切です。

そして、それ以上にチョムスキーが指摘する現象、あるいは事例は、アメリカに限ったことではなく、例えばこの日本でも見られることに思いを向けなければならないでしょう。

報道や宣伝と大衆の気分

さて問題は、チョムスキーの言うようなメディア・コントロールがあったとして、これが国家の支配層がうまく利用することだけを取り上げても意味がありません。

われわれが真実と思うもの、これがいつも疑わしいと気づくべきなのです。

テレビや新聞の報道において、Aという事実を取り上げ、それに対抗するBという事実を取り上げなかったら、人々はAに傾くのです。

卑近な例としては、日本のテレビは、アメリカの地デジ移行が失敗しつつあることを報道しません。
また、わが国における地デジ対応機器の導入率も50%を切っています。これもテレビはまったく取り上げていないようです。

ということで、自分も、誰も彼も、一方で偏った情報で正しいかどうかを決めているかもしれませんし、他方で思いもよらずに情報操作しているかもしれません。

そしてビジネス面では、相手が顧客だったとしたら、自分の会社やサービス・商品が、どのようにして伝わっているのか、これを精査する必要もあるというものです。

チョムスキーの著作は、非常に生々しい国際政治のドロドロを描いてはいるものの、多かれ少なかれ、人間は偏った情報を受け取り、偏った判断をするものだということです。

行動経済学やニューロマーケティングという現在最先端の販売方法論において、こういった人の認識や意志決定などの情報処理や消費者行動など、探求するべき課題となるはずです。

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