平清盛本7冊(謎とき平清盛:本郷和人ほか) 経営・組織運営・マーケティングの前車の轍
清盛は、平氏一門の棟梁となったことも、平氏が政権の中枢に入ったことも、ある意味では偶然の所産です。
ですから、後付けの予定調和的な、歴史解釈は、百害あって一利なし。
むしろ、欧米的な不確実性とか、たまたまとか、まぐれとか、そういったかたちで、清盛の生涯を追いかけたほうがいいでしょう。
そもそも、この時代に活躍する人たちも、偶然に偶然が重なって舞台に上がった者たちばかりです。
平清盛の時代 経営・マーケティングの前車の轍
平清盛と平家一門の繁栄は、当時の常識や習慣を破壊したことによってもたらされています。
そして、破壊によって、あるいは破壊し尽くせなかったことによって、滅亡したと言えるでしょう。
時代は、一瞬は清盛を必要としたけど、要らなくなったら使い捨てした。これが真実かもしれません。
農 対 商
清盛は、武力によって政権中枢に入り込んだのですが、経済的には農よりも商に重きをおいた可能性があります。
藤原氏・摂関家も、荘園などの農ベースの経済力が権力の基盤となっていました。
また、源氏を私兵とすることによって、武力をそなえていました。
逆に、同じ武力を頼みにしても、土地支配による農産物の税収を経済基盤とする、源氏とその取り巻きによって、武家政権を樹立できたということになるでしょう。
国内 対 国際
清盛は、中国(宋)との貿易を積極的にすすめ、博多止まりの航路を、瀬戸内海を通行可能にして、福原(神戸)まで拡張しています。
福原を首都にしようとした経緯もあります。古い都では古いことを続けざるをえないので、開けた国際的な海洋貿易の都市としようとしたのかもしれません。
知性も教養もない野蛮な源氏の木曾義仲に、福原は焼き払われてしまいました。
そして、日本史で毎度毎度出てきては消されるのが、国際派にして改革派。
ことごとく打倒されるか、退場して、国内派が権力を掌握しています。
蘇我入鹿や田沼意次などは、慣れ親しんだ価値観を否定されることにおびえる者たちには、いなくなってもらうべき奇人変人だったのでしょう。
海洋貿易では坂本龍馬以上の実績ですし、農ではなく商で経済力を高めたこと、伝統や因習に縛られなかったことは、織田信長のような革命家の風貌さえあります。
王家・公家・武家
以下の年表を見ても、清盛の出世と平家一門の政権掌握のパターンは、藤原氏の模倣に過ぎません。
(清盛前史で見たように、不比等や仲麻呂も、人臣初の皇后や太政大臣と批判されています)
時代が、武力を要求したので、たまたま当時の日本最高の武力を持っていたから、中央に進出できたと思えます。
当時の不穏な時代、そしてアンチ藤原摂関家というトーンで、政治における武力の必要性をもっとも意識したのは、王家の白河院ではないでしょうか?
つづいて、公家に対する死刑を復活させた信西が、王家を栄えさせるため、公家の力をそぎ落とし、武家を利用したと思われます。
平氏と源氏
武力としては源氏・平氏がいたものの、経済力では正盛以来平氏が圧倒的だったので、白河院も鳥羽院も平氏をひいきにしたと言えます。
平氏は京都・中央で活躍し、源氏はせいぜい摂関家の私兵で、義朝が鳥羽院に認められたことを例外として、多くは地方で暴れ回っていました。
なお、源氏は八幡太郎義家を祖とする流れで、義家の子の義親―為義―義朝―頼朝は、実朝(鎌倉三代将軍)で断絶します。
別の義家の子の義国の流れが、鎌倉幕府を支え、室町幕府の将軍と守護大名を輩出します。
源氏には、親子兄弟血縁での内部抗争が多く、もとから力ずくで解決する、殺してでも排除するというDNAも感じなくもないですね…
武家政権
基本的には、武家とか源平とかに引っ張られると、清盛の革命性が薄まります。
たしかに頼朝に先行する武家政権の端緒ではあったかもしれませんが、商業や貨幣による人と物との流動性、さらには海洋貿易による国際感覚など、現代に通じる清盛の功績が光を失ってしまうでしょう。
この時の日本に必要だったのは、武家政権ではなく、公家・藤原摂関家の政治支配の終焉だったと思えるのです。
軍隊の支配ではなく、軍事力による治安秩序維持を背景とした日本統治。
明治政府中世版のようなものでもよかったのかもしれません。
平清盛 年表
キーワードは、やはり外戚政治です。
また、仲麻呂のように軍事による決定力をもっていました。
問題は、(a)藤原氏の模倣の外戚政治、ただし、そもそも(b)武家の身内が天皇の妻になること、天皇の母になることが、奇跡だったわけです。
そこまで上り詰めたことは、平清盛の偉大な力でしょう。
西暦 | 年齢 | ことがら | 王家・ほか |
---|---|---|---|
1118 | 1 | 清盛誕生 | (白河院政) |
1119 | 2 | 後の崇徳天皇誕生 | |
1123 | 6 | 崇徳天皇即位 | |
1127 | 10 | 後の後白河天皇誕生 | |
1129 | 12 | 従五位下 | 白河院没。鳥羽院政 |
1139 | 22 | 後の近衛天皇誕生(母美福門院) | |
1142 | 25 | 近衛天皇即位 | |
1143 | 26 | 後の二条天皇誕生(父後白河/美福門院養子) | |
1146 | 29 | 安芸守 | |
1147 | 30 | 祇園騒乱事件 | |
1149 | 32 | 異母弟家盛急死 | |
1151 | 34 | 以仁王誕生(父後白河) | |
1153 | 36 | 父忠盛没。平氏棟梁 | |
1155 | 38 | 近衛天皇没。後白河天皇即位 | |
1156 | 39 | 保元の乱。播磨守 | 鳥羽上皇没 |
1158 | 41 | 大宰大弐 | 二条天皇即位。後白河院政 |
1159 | 42 | 平治の乱 | |
1160 | 43 | 正三位 | 源頼朝伊豆配流 |
1161 | 44 | 権中納言 | 後白河院政停止。二条親政 |
義妹滋子(後白河后)後の高倉天皇出産 | |||
1164 | 45 | 後の六条天皇誕生(父二条天皇) | |
1165 | 48 | 権大納言 | 二条天皇没。六条天皇即位 |
1166 | 49 | 東宮大夫。内大臣 | |
1167 | 50 | 従一位太政大臣 | |
1168 | 51 | 六条天皇没。高倉天皇即位 | |
1171 | 54 | 娘徳子 高倉天皇入内 | |
1176 | 59 | 建春門院滋子没 | |
1177 | 60 | 鹿ヶ谷事件 | |
1178 | 61 | 徳子 後の安徳天皇出産 | |
1179 | 62 | 後白河院政停止 | |
1180 | 63 | 安徳天皇即位 | |
頼朝挙兵。以仁王敗死(このころ『梁塵秘抄』) | |||
1181 | 64 | 清盛死去 | |
1183 | 『千載和歌集』院宣 | ||
1185 | 壇ノ浦の合戦 時子、安徳天皇、三種の神器の天叢雲剣とともに入水 | ||
1192 | 後白河法皇没 |
源平合戦のときに、藤原定家が「紅旗征戎吾が事に非ず(戦は自分には関係ないよ)」と日記『明月記』に書いていますが、後白河法皇も、わが生き死にがどうなるやもしれない時期に、『梁塵秘抄』や『千載和歌集』を撰じているのは凄まじいですね。
ここにこそ、日本のエスタブリッシュメントに、「雅」を感じます。
平家の家紋
平氏の家紋は、揚羽蝶です。
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(使わせていただきます)
なかなか、クールなデザインですね。
平清盛 ― この男日本を変える
結局、信長は「天下布武」と、明確に軍事力で圧倒して日本を支配するというイデオロギーがあったのですが、清盛は平氏の武力の時代的な意味を理解していなかったというところですね。
この本を読んだ感想として…
経営者・平清盛の失敗 会計士が書いた歴史と経済の教科書: 山田 真哉
この本によって、海洋貿易の振興や、貨幣経済の浸透など、清盛の経済的な功績を教えてもらいました。
坂本龍馬は、薩摩資本の亀山社中、土佐資本の海援隊の、雇われCEOに過ぎませんでしたが、平清盛は日本国のトップとなって、経営したわけです。
図解 中世の革命児 平清盛の真実 元木泰雄
この本は、今のNHK大河ドラマ『平清盛』を見るには必須です。
というか、これを読み込んでいないと、この時代の人は軸もなくぶれた毎日を送っていますから、それこそサイコロの目のように、昨日の友は今日の敵、登場しては消え、地位が上がっては失脚し、生まれては死んでいくような。
上図のように、重大なエピソードごとに、敵と味方を短評つきで図解しています。
そして、全ページの左端に、清盛の年齢も示されています。
とても便利な、清盛図鑑です。
当然、白河院以降の日本史は、すごろく化していることも視覚的に分かってきますよ。
平清盛と後白河院 元木 泰雄
これは、上記の図解版とはまったく違って、文字ばかりで(笑)、あまりにも登場人物が多く、姓が同じで、名も通字だらけなので、疲れます。
平氏と源氏は、かならず混乱しますね。
また、平家物語や、鎌倉室町に都合のいい資料の「アンチ平家・清盛」を、文献を引っ張ってきてくつがえしていくようなテーマですから、もとから、元の資料も、反論する文献も知らない私たちにとっては、敷居が高いようです。
歴史に裏切られた武士 平清盛 上杉和彦
NHK大河と同じ見方、清盛が武家政権の口火を切った、ということです。
先駆者ゆえに、アンシャン・レジームの破壊に没頭して、次の時代の創造まで手が回らなかったということでしょうか。
手柄を、頼朝にさらわれたというか…
平清盛―「武家の世」を切り開いた政治家 上杉 和彦
上記の本と同じ作者です。
内容はほぼ同じですが、同じ本を二度読むよりは、同じ作者の別の本を読むほうが、理解は深まります。
謎とき平清盛 本郷 和人
これが、最後の、そして最高のお勧め本です。
作者は、NHK大河ドラマの時代考証者ということです。
武家が主役で、公家がいて、だから天皇家も「王家」がいいと提案されたそうです。
実際、この用語は、非常に分かりやすく、自分の頭も整理しやすくなりました。
正盛から忠盛と、先代がいてこその清盛と、平家一門のある程度の繁栄は見込めたという状況。
平家一門の安泰や結束力に対して、源氏では畳の上で死んだ人が少ないと(笑)
裏付けるように、源氏の者たちは、地方では暴力的に略奪をする狼藉者も多く、弓矢にたけたつわものも数知れずと、勇猛な話に事欠きません。
さて、院政の強大化、摂関家の頼長と忠通兄弟の私闘も重なって、ついに「350年ぶりの死刑の復活」。
のみならず、政敵を追い落とすために、武力を持って討つということが当たり前になります。
せいぜい、呪ったでしょ?と陰謀を仕掛け失脚させるか、人知れず毒薬などで暗殺する程度だったのに、平和ボケした時代をぶん殴るように、血で血を洗う正面からの武力闘争が幕を開けたのです。
後白河と信西と清盛、時代が求めた怪物たちがそろって、日本史は大きく転換したということのようです。
信西は、後白河・王家の完全政治のために、公家・摂関家を失墜させ、武家・平氏の軍事力をバックボーンに、理想の王国を構築しようとしたのでしょう。
また、日本全体で、反平家というより反既存政治の反乱が自然発生的に起こっており、源氏はその一部であること。
頼朝が挙兵できたのも、一度平氏に敗戦して再起できたのも、父義朝が開拓した関東の武士との人脈が大きかったこと。
こうして、政治、経済、軍事をまとめて、日本史の転換点で、平清盛が何者であったのか、そして平家一門の繁栄と滅亡など、「謎」がとかれていく。
ぜひお読みください。
NHK大河ドラマ『平清盛』の理解の助けになるとともに、事業を興すこと、続けること、会社をつぶさないことなど、非常にお役に立てることと思います。