小説 立花宗茂:童門 冬二 玉砕の愚行ではなく大名復帰をはたした最高の経営者

たまたま見たテレビ番組で、立花宗茂を知りました。

秀吉や家康からも認められた武将 立花宗茂

九州を二分する島津氏とのたび重なる合戦で武名を上げ、秀吉からも評価されて、大友氏の家臣から大名に取り立てられ、柳河13万2000石の領主となります。

朝鮮の文禄の役・慶長の役でも活躍。
軍功いちじるしく、また小西行長や加藤清正を中国・朝鮮の包囲網から救出という言い伝えもあります。

とにかく、宗茂本人の武勇というよりも、立花軍の強さは尋常ではなく、将として軍を率いる能力がいちじるしく高かったと言えるでしょう。

関ヶ原の戦いで負け組に…

関ヶ原の戦いのおり、家康からは東軍に加われ、または九州にとどまれと要請されるものの、「秀吉公の恩義」に報いるために西軍に味方し、大津城を攻め落とします。

敗戦後、改易…

一時期は、大多数の家臣を含めて加藤清正の熊本藩に食客として居候となりますが、一部の家臣を連れて京都、そして江戸へ。
ところで、家臣たちが京都や江戸で乞食をしながら主君を養った?そうです。

宗茂は、誾千代の婿となって立花家に入っていますから、家臣は家というよりも宗茂本人に心酔していたのかもしれません。

旧豊臣の大名だけでなく、徳川の本多忠勝も、宗茂を好人物と思っていたようです。
彼は、戦争の名人というだけでなく、教養人であり、たぐいまれな人格者でもありました。

徳川秀忠のおぼえめでたく

再就職活動があったのか、なかったのか、徳川に受け入れられ
御書院番頭や秀忠の御伽衆などを経て、東北の大名として復活。

大坂夏の陣では、二代将軍秀忠の参謀格として参戦。

そしてとうとう、柳河藩10万9200石の領主として、関ヶ原負け組としては唯一の、旧領復帰の大名となります!

秀忠のみならず、三代将軍家光にも重用され、江戸柳河藩邸に将軍が訪れることも…

最後の戦は、島原の乱。
城攻めのときは、武神再来と称されたそうです。

倒産した会社を、もう一度立ちあげるというか、経営者としても見習うべきすばらしい人物です。

立花宗茂の魅力 NHK大河ドラマの主役を希望

「秀吉公の恩義」という美辞麗句を掲げながら、自分の名前を残すとか、死に花を咲かせるとか、玉砕する武士たちが多いなか、自分よりも家臣をまもりたい、あるいは立花家を再興したい、そういったプランを貫いたのかもしれません。

宗茂の武士の本懐も非常に明瞭で、関ヶ原の戦いと同じ態度で、徳川家の、将軍秀忠公の恩義に報いるために、大坂夏の陣にて豊臣家滅亡に荷担します。

戦時には、立花家のメインの事業は戦です。宗茂は家臣とともに、武名をとどろかせました。
平時には、領国経営がメインの事業となります。東北の小藩でも、柳河でも。

宗茂の魅力は、刀や弓だけでなく、茶道、香道、蹴鞠にも長けた、文字どおりの「文武両道」。

合戦がうまく、上も下も話をして楽しい、人格者。

凄い日本人です。

 

本当は電子書籍が欲しかったのですが、文庫本では目が辛いので、中古の単行本をリーズナブルにゲットしました。

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