イノベーションのビフォー・アフター 歴史の破壊と創造
明治の政治家・官僚・実業家たちの多くは20代青年。徳川幕府の老中若年寄奉行は追放
去年のNHK大河ドラマは、篤姫でしたね。
宮崎あおい人気もあって、非常に視聴率もよかったと聞いています。
明治の政治家・官僚・実業家たちの多くは20代青年。徳川幕府の老中若年寄奉行は追放
去年のNHK大河ドラマは、篤姫でしたね。
宮崎あおい人気もあって、非常に視聴率もよかったと聞いています。
量子力学、ハイゼンベルクの不確定原理は、一生を左右する画期的な事件だった
最近つくづく思うことは、起業家にとって絶対に必要なイノベーションのことです。
泳ぎ続けないと窒息死してしまうマグロにたとえることができるでしょうか。
経営は常に革新し続けなくてはならない。変化しなくなったとき、会社は潰れてしまうと…
ところで人間の歴史にとっては、あるイノベーターの出現によって時代が大きく回天していきます。
では、イノベーター自身はどうなのでしょう?
やはり個人においても、人生観や世界観、思考や思想に何か劇的な変化があったのではないでしょうか。
私自身を振り返れば、高校二年生の夏休みに夏目漱石の三四郎を読んで文学の麻薬に侵されてしまいました。
それから国語の先生の影響で、藤原定家や西行、史記や三国志など、日本や中国の古典の虜になりました。
さらには哲学に覚醒して、鎌倉仏教、特に親鸞、あるいは当世流行の実存主義のサルトル、極めつけはニーチェと、古式蒼然としたインテリ青年の道をよたよた歩くようになりました。
大学生時代には、先輩の薫陶もあってマルクスから吉本隆明、廣松渉などにどっぷり漬かり、友人の影響でクラシック音楽や絵画などの鑑賞にも耽りはじめました。
一方で左翼思想を熟成させながら、他方ではプチブルジョアジーの趣味もお盛んと、はなはだ分裂気味だったわけです(笑
だがしかし、このインテリもどきの頭でっかち青年が、心底ひっくりかえったのは、ハイゼンベルクの不確定性原理を知ったときでした。
能力があるのに認められない報われない死んでしまう。人材の社会的損失を憂う
私は、少年時代から「あること」に憤りを覚え、青年時代に覚醒しました。
カール・マルクス、なかんずく「資本論」は今でも私の思想哲学の源泉となっています。
ということは、青年時代の覚醒では、まず「左翼」になったわけです。
しかし、今は1円株式会社とはいえ、起業しています。
会社が大きくなれば雇用もあるでしょう。
そうなれば、「サヨク」が言うところの「剰余価値」を搾取する立場になるわけです。
だがしかし、依然としてマルクス「資本論」を人生第一の思想書としてリスペクトし、かつ「左翼」的な思想も私の中では健在です。
「資本論」を起業家的に読み込む話はいずれまたにして、今回は私の「左翼」とは「リベラル」のことであり、フランダースの犬のネロ少年にならないこと、ネロ少年のような目に遭う社会を革新することであることを述べたいと思います。
不況の時代だからこそ伸びるビジネスがある。そして不況に脆いビジネスもある
サラリーマン時代の営業マネージャー会議を彷彿「目標達成します!」
実は、政官財のほとんどが、麻生政権だけでなく、自民党に見切りをつけはじめています。
そして、それが分からない人も、しぶとく残っているようです。
織田信成へは、4回転にこだわらず、他のジャンプをまず完璧に
ニコライ・モロゾフ、フィギュアスケートのコーチへのインタビュー記事が、12月30日の読売新聞に載っていました。
私は、フィギュアスケートは、浅田真央の活躍に目を細めるだけでなく、ISU(国際スケート連盟)の採点方法を検索アルゴリズムにオーバーラップさせながら、SEOという本業に役立ています。
さらに、浅田真央のタチアナ・タラソワと安藤美姫のニコライ・モロゾフの両コーチを、経営コンサルタントにたとえて、自社にとってどちらが有能なアドバイザーであるかも見ています。
首切り企業対被リストラ派遣の図式で、労組は正義の味方ではなく悪の温床である
世界同時不況は、アメリカの金融危機からはじまっていますが、日本の状況はそれとは違っていることに気づく必要があります。
もちろん、大不況ともなれば、売上低下や利益減少などの経営危機がおそいかかり、企業は生き残りの選択としてコストカットの最終手段として解雇・リストラに踏み切ります。
日本では、パートや派遣などの非正規労働者にしわ寄せが行っているかのように報道されていますが、その解決策は、例えばトヨタ自動車がむしろ雇用を増やして現金が枯渇するまで日本全土の非正規労働者を新たに雇い入れ続け、倒産したら気が済むのでしょうか?
それとも、日本の労働者をリストラして批判されないように、日本から出て工場から本社まで外国に移転したら一件落着なんでしょうか。